私は成績も決して悪かったわけでもなければ、特別よかったわけでもありません。
中の上から上の下くらいを彷徨いていた中学時代でした。
先生からも進学校を進められましたし、家系的にも進学を念頭に置いていたのは事実です。
しかし、それでも私は勉強というサイクルをできるだけ早く終わらせたいという思いが強かったです。
結局何となく勉強したくないから、という理由で人生の舵を切りました。
その時の私にはやりたい事なんてなかったし、自分のやりたいことから大きく外れて言っている事なんて知る由もありません。
でも確実に自分のやりたい事と、自分にする権利が与えられている事は乖離していきました。
それに気付いたのは転職を考え始めた頃。
私がやってみたい職種を検索している時に気づきました。
応募条件は全て大学○○過程という単語が並びます。
その時初めて、自分にはさせてもらえない基準があるということを知ったのです。
言い換えると、普通の日常生活を送っているだけでは確実に超えることのできない壁を知りました。
ある意味挫折です。
どこにもぶつけ用のない虚しさに襲われたのです。
しかし、中学生だった当時。
私はその選択で人生が大きく変わる事はわかっていても、自分のやりたいことから離れていくなんてことは考えてもいませんでした。
あの時進学の決断をしていれば…
私にとって初めての挫折でした。
でも確実に日常生活での行動を後悔したのです。
しかし過ぎた事はもうどうしようもありません。
次の後悔が私の中での最大の後悔になっています。
しかもこれは現在進行形。
まあ簡単に言えば、ビジネスのことです。
私が最初にこれを思ったのは、もう10年近く前のことです。
何気ない日常の中でのことでした。
過去に書いたことなのですが、私の会社は地元では神格化に近い扱いを受ける企業です。
簡単に言えば、地元の人はこの会社に入れば安泰と思っているしできれば入りたいと思っている人が多いです。
私は地元民でもないし、内情を知っているというのもあってその感覚はあまり共感しませんがね。
だから給料もそこそこいいし、そこだけ見るとよく見えるのでしょう。
しかし、ある時にふと思いました。
良い暮らしって何なんだと。
確かに平均年収は超えているし、世間的にみたら良いのかもしれない。
でもさ、良い暮らしの基準をどこにしているの?って。
それまでの私は、平均年収を基準に考えていました。
それは超えている。
でも何も満たされない。
給料いいね、なんて言われる。
でも新車のベンツなんて到底買えないよ。
少なくともこの会社は、高所得者になる会社ではないということ。
調べたところ、準中所得者階級までしかいけないということ。
だからその時に思ったんです。
このままの人生を歩んでも、確実にできない事がたくさんあるんだって。
その時の私は起業なんて考えてもいなかったし、安定の中には本当の高所得なんてあり得ないと気付きつつも安定という手綱を話す事が出来なかったんです。
頭の中では何かを変えたい、と思っていたんですけどね。
私は自分の野心に蓋をして、今度考えればいいやって後回しにしてきました。
その理由の一つに、何をすれば人生を変えられるのかわからないという事がありました。
今だから言えるんです。
今日が人生の一番若い日だって。
つづく