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マインドセット

Giveを与えたとして、得るものは?

こんにちは。ケイザキです。

Giveを与える。

そういう記事を書きました。

私自身、自慢ではないのですが、若い時からGiveをたくさん与えてきたと思います。

しかし、理由は『気を遣われるよりも、気を使っていたが楽だから。』というものでした。

Giveの精神とは少し違うところに思想がありましたので、これを確実な結果としていえるかはわかりません。

ですが、結果として私は面倒見がいいという位置付けにいたのは確かで、そんな私のところには情報が入ってきやすかったのもこれまた事実なのです。

その中で感じたことを今回は記事にしてみようと思います。

Giveに何を求めているのか?

先述の通り、私は気を遣わないためにGiveをしていた側面があります。

そのため、見返りというものを求めていた訳ではありません。

しかしながら、私に恩義を感じてくれていた後輩がいたことも事実です。

自分で言ってしまうと偉そうに聞こえてしまうので、少し恥ずかしい気もしますね。笑

世の中ではGive&Takeという言葉があるように、見返りを求めてGiveをする人が多くいます。

商売なんてその典型ですね。

利益を生むものを仕入れ値でおろす。それこそGive&Takeです。

しかし、個人レベルになるとどうでしょう?

例えば、誕生日にお祝いをしたのに、自分にはしてくれなかった。とかはそれです。

要はGive数=Take数ではないということです。

それを裏付けるように、あなたは今まで自分のためにしてくれた様々な Takeを全て覚えていますか?

覚えていない人がほとんどですね。

それが普通です。

誰かのために動いた人は覚えていても、動いてもらった人は覚えていないのです。

極論、みんな自分以外のことに興味を持ってはいないのです。

私はある人からこんなことを言われました。

1,000人にいいことをしたら、その中の1人からお礼が来たら素晴らしいことだと思おう。みんなからしてもらおうと思っていても、絶対にそうはならないから。

確かに、そうだと感じました。

その1回に期待してしまうと、そうでなかった時に落ち込むし、期待した相手に攻撃の矛先を向けてしまうことだってあるでしょう。

期待しないといいんです。

親友と言われる人たちは毎年のように祝ってくれるかもしれませんが、そうでない人たちはあなたの誕生日すら知らないかもしれません。

現に私はどうだったか

私自身はまだ諸先輩方のようにGiveを与え続けたつもりもなければ、ただ可愛がっている後輩や仲間たちにいい情報をやれたらいいな程度にGiveをしてきた感じです。

言ってしまえばお節介かもしれません。

全てに何かの意味を見つけようとすると難しく、自己満足という例えが私の場合はしっくりきます。

そんな私はGiveをしてどのくらい得るものがあったのか?

今のビジネスを始めるきっかけとなったのは、Giveを与えた子が私にコンテンツを教えてくれたことや有料で買ったものを私にそのまま教えてくれたり、アドバイスをくれたりしているからです。

そのような見方をすると私はかなり良くしてもらえているのかもしれません。

私自身もありがたいと感じているし、いつか私もそれに報いなければいけないとピッチを上げているところです。

しかし、そのような関係値の数人ではない人たちでいうとあまり返ってきているとは言い難いです。

どもそれが普通だし、これからもその人たちにはGiveを続けると思います。

なぜGiveを続けるか?

これは単純に、その人たちに幸せになってもらいたいし、自分の与えた情報で少しでも生活にいいものをもたらせたら素敵ではないですか?

先述したとおり、私は損得勘定でGiveをしている訳ではありません。

強いていうなら、アウトプットの場程度の得です。

お金になるようなことはありません。

ただのお節介です。笑

だから、固定費の無駄を教えてあげても圧縮しない人はしないし、する人はするのです。

金額が大きくなると動く人は増えますけどね。

でもこれからも、自分にとって大切な人にはGiveを続けていくし、それが自分のためにもなると思います。

だって、質問されて答えがわからなかったらまた調べて、さらに濃い情報を持つ事ができるじゃないですか。

それは大きな財産となりますよね。

今日が人生の一番若い日。

Giveというのは難しく考えなくていいんです。

その人のためを思うと自然にできるようになるし、それがお金に関する事じゃなくても全然構いません。

その人のためにGiveをすることで、あなた自身の成長にもつながるのです。

得るものはなにも物である必要はありません。

もっと大事な何かを見つける事ができるかもしれませんよ。

では、また!